2007年05月03日

北東北の今昔

「都の人の言うところでは、マツロワヌヒトビトと、ろくに着物も着ない人の土地だと聞いていたのに、なんと礼儀の正しい人たちなのだろう」と、感動した藤原ツネキヨ(経清)でした。
この話は、950年前に東北を納めにきたものの理不尽な都の納税に疑問を持ち東北側の利益を重んじて納税させなくした為に、源氏に殺害された清衡(キヨヒラ)の父、ツネキヨの話です。

そうなんです。この時代以前の遺跡から4〜5人の家族が食卓を囲んで、おひつからご飯を漆器のお椀によそってお箸で食べていた様子が想像できる事実が見つかり出しています。

明治以降の歴史観が、東北は文明未踏の地の様な扱われ方をしています。

ところがどうでしょう。
青森の弘前近くにある田舎館遺跡では2000年前の水田 「垂柳遺跡(たれやなぎいせき)」が見つかり、秋田の雄物川町では古墳時代の高杯(たかつき)が玄米を載せていたことが分かるシミを残したまま発見されています。1500年ほど前の話です。

190128t.jpg
写真は雄物川町の高杯(たかつき)

卑弥呼がヤマトで活躍していたのが、西暦2〜300年の頃と言いますから、その時代にヤマト朝廷の知らないヒトビトの文明豊かな郷があったようですね。
数年後にダムで沈む秋田県の森吉では13世紀前半の漆器の生産拠点の遺跡が見つかっております。そこには、中国の白磁の土器が見つかっていますので、かなりの豪族が居た様です。

4000年前の北東北の住民は、環状列石を百年かけて造ってはまた別のところに造っていたようです。それも、食文化の違う4〜5部族の共同作業で管理していたようです。とても、大切にしていた行事をしていたのでしょう。毎日、神に祈って生活していたという東北の民はこの頃からいたのでしょうか。

4000年前と言えば、青森の三内丸山遺跡ですね。私たちがそれまで、機織り機がなければ布地はできないと思い込んで当時の服飾を考えましたが、手や指で布を織ることができたんですね。アンデスの文化でもロープと小枝があれば器用に布を編むようです。
そして、秋田ではその時代にボタンが見つかっています。眉玉の様な糸を丸めまして漆を塗って固めたものが発見されています。
赤いボタンの服を着て、生活していたのでしょうか。

190408hujiwarabunnka.jpg


奥州藤原文化の修復作業の際、昭和の職人は初めて見るその工芸の素晴らしさから多くを学び現代の名工として今に至っていると聞きます。当時の方が今の時代より多くの技術を持っていたようです。

ところが今はどうでしょう?

縄文時代は自然の恵みから頂く恵みに必要以上の収穫をしなかったので、海難事故や飢饉は無かったと縄文学者は指摘します。このことを忘れた北東北の住民は、姥棄山のように命を粗末にし出しました。

自殺率ナンバーワンツースリーの秋田・青森・岩手県。
死亡率一位で出生率ワーストワンの秋田県は2025年の高齢化率のトップです。青森・岩手も続きます。

災害被害額全国平均4,694円が青森40,773円岩手36,451円でトップ。
乳児死亡率秋田・青森が一位と三位。
平均寿命が短い青森の男女一位。秋田の男子二位です。

自然の恵みで産業がある土地でありながら、自然を汚す開発が行なわれ過ぎた様です…ネ。
posted by 微笑 at 13:54| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月07日

悪党と言われた冤罪の英雄「ながおもて三兄弟」 秋田の話

「どうして?」って事ありませんか?
私に経過報告を求めるのはいいのです。でも、あり得ない事例の説明を繰り返し聞かれたので、そんな事はなくこうなったんですと説明したつもりなんですけれど。喧嘩を売られているようだと怒らせてしまった様です。申し訳ない事をしました。きっと、理解を越えた出来事で、尚かつ私の説明が分かりにくいのだったと思いますがね…って、私の話は置いといて、知られていないヒーローの話です。

 秋田にいい人とも、悪い人とも評価の別れたままの三兄弟が居ます。
東北の地を朝廷の物とすべく、征夷大将軍の頃と言いますから、1200年程前のことでしょうか。秋田県の中程の北に山本町がありまして、上小阿仁に向う所に房住山があります。そこに、古くから伝えられている「房住山昔物語」がありそこに残っているお話です。

 征夷大将軍坂上田村麻呂がやってきたとき、房住山の近くに住む阿計徒丸・阿計留丸・阿計志丸の三兄弟が、理不尽な朝廷の命令を聞かず、田村麻呂の軍勢と激しい戦いになった話です。

後に、房住山の修験者の話では、悪い事をした三兄弟として残っています。
ところが、彼等のお墓がいまだに大切に、また隠すように幾つも残っているのです。そして、こっそり彼等の歴史を残そうと地名になって残っている所を見ると、地元のヒーローであって、力で制圧されても郷土の誇りを残して来た地域住民の絆が感じられますね。長いモノには巻かれても、自分達の為に生きた兄弟の事が伝説で蘇ろうとしています。
近年男鹿半島の「ナマハゲ」は引き合いに出されても、この「ながおもて三兄弟」は知られていません。キャラクター的にも素晴らしいものを持っていますので是非憶えておいて下さい。特徴は身の丈、一丈、顔の額から顎まで二尺四寸、顔の幅一尺二寸で長面三兄弟です。

丈:尺貫法の長さの単位。一〇尺。一丈は、かね尺で約三・〇三メートル、鯨尺で約三・七九メートル。
尺:一杖(つえ)(約三メートル)の一〇分の一。しゃく。

 この三兄弟のお祭りと言いますか、お祀りが山本町の「森岳温泉まつり」のフィナーレを飾ります。
2月12日(日)10:00〜18:30の間の17:30から執り行われます。
会場は、惣三郎沼公園。
お問い合わせ、山本町商工観光課0185-83-4587
勿論三兄弟も降臨しますので、皆さんで逢いに行きませんか。
下の写真は昨年の三兄弟の模様です。

180207nagaomote.jpg
posted by 微笑 at 23:45| 秋田 🌁| Comment(6) | TrackBack(2) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月05日

御飯はどうやって食べています。

 どこで稼いでって話ではありません。お椀とお箸とかナイフにフォークの話です。日本は縄文時代の文化は西洋の新石器時代の人間の営みより自然的で遅れた文化と認識されているそうですがどうなんでしょうね。
 
 板倉遣欧使節団がフランスに行った時代の食事の作法は手で握って食べていたそうです。テーブルに大きなお皿に盛られた肉の固まりを自前のナイフで削いでは口に運ぶ食べ方です。

 今日のテレビでフランスの三ツ星天才シェフ:ピエール・ガニエールがお料理していました。数値の構成に寄る物造りでは無く感性と勢いに寄るものでしたよね。その場のノリでありアドリブであるとコメントしていました。
季節季節の持ち味を引き出す食事造り。有り合わせの食卓。土地土地の食材に調理法はあるものの自然にあるものとの調和から自分の受け入れたいものを造り出す技は実に縄文的です。
これって、和食文化では無いではないでしょうかね。
それだから、個人主義のフランス人も日本人の愛弟子に対して心を砕いて、奥さんと話していましたのも縄文的生き方がそうしている様でしたね。

 コース料理は板倉遣欧使節団が持ち込んだ日本の料理により模倣されたものです。優美で一人一人に持て成された食事というものはどこの国の人にも愛情を感じるものなのですね。お鍋も取り分けてもらうと嬉しいです。
ナイフとフォークの使い方が難しいと嘆くよりも、日本人の模倣でしきたりを作ったルールに過ぎないと自分流で御馳走になりましょう。
板倉遣欧使節団は二八そばを御馳走しなかったのでしょうね。していたらずるずると音を立てて麺類を食べていたでしょうにね。

■PIERRE GAGNAIRE プロフィール
1950 年、フランス アピナック生まれ。数々のレストランで修業を重ね、1976 年実家のレストランを継承し、1980 年に独立。瞬く間にミシュラン2 ツ星・3 ツ星を獲得。1996 年に店を閉めるもその半年後、パリに再び出店。1997 年に2 ツ星1998 年には見事3 ツ星を奪回。その芸術的センスとおいしさ溢れる料理が多くのファンを魅了し続け、「厨房のピカソ」・「食卓の詩人」などの異名をとる。

posted by 微笑 at 23:45| 秋田 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月17日

分かている遺跡で2万年前 秋田の話

 米代川河口付近にある様です。秋田って県民の皆さんには知られていないようなんですが、とても古い歴史と文化がある様です。
先日の阿仁の学習会でも十和田火山噴火以前の文化が発見されていないものの、その後の復旧に関してこれ程たたらばの支援と開発が合った事は、其れ以前にここにそのノウハウが合った証であるに違いがありませんって個別にお話させて頂きました。
先生もその様に想って頂いていました。そこを多くの県民と日本国民が自覚していただければ、秋田ってすごい地域なんだって分かっていただけるでしょう。
そうすれば、人が集まってくる場所になって行きますでしょうにね^^
posted by 微笑 at 23:45| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

室町時代のつもりが平安だった遺跡 秋田の話

17111402.JPG

 もうじき道路にして無くなってしまう遺跡です。秋田市の御所野のイオンの先に、ゴミ処理場があります。その先にあります踏み切りのところから見上げたところです。
「虚空蔵大台滝遺跡(こくぞうおおだいたきいせき)」のことです。写真は今年の初夏のモノです。

 此処に行って見ると、杭に室町遺跡後とあるのですが。今年の発表でここが平安時代の前九年の役から後三年の役のころの柵跡である事が分かったそうです。
此処は、その後東北の覇権を確立し、奥州藤原氏と関わりが深い場所出あった事を意味します。雄物川町の沼の柵や横手の金沢の柵に匹敵する場所が見つかった事になります。
そして、これまでの遺跡の発掘の常識を変える発見だったって事ですよね。

でも壊して道路にするそうです。

 この秋田で起った受験の歴史では源氏の話で終わっていますが、日本の女性が封建時代を体験して行くきっかけの出来事の証なのですが、誰もアピールがありません。勿体無い話です。
松田解子さんが何故秋田出身だったのかと想うとそんな時代の伏線があったのでは無いでしょうかね。
posted by 微笑 at 23:45| 秋田 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月03日

秋田にはモノ作りの職人さんのDNAが脈々と続いています

17110301.jpg

 今日、秋田県は森吉山ダム建設地地蔵岱遺跡の現地見学会と埋蔵文化財学習会に行って来ました。
写真はその帰りです。
ショックは現場報告会に参加の際、携帯から投稿したのですが、seesaaですから・・・

 学習会の払田柵跡調査事務所の 高橋 学 先生の話を聴いてから現場に行ったら良く解りました。
十和田火山の噴火(西暦915年8月17日)以前の様子がわかる胡桃舘遺跡の埋没家屋のカラーの写真が手に入ったそうで見せて頂き一層イメージが湧きました。

この土地にはモノ作りの文化を持った人々の土地であったこと、秋田に昔からモノ作りにたけた人々がその技術を生かして生計をたてていた歴史がある事を感じました。

秋田にはモノ作りの職人さんのDNAが脈々と続いていますね。�
posted by 微笑 at 23:45| 秋田 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月01日

地蔵岱遺跡 秋田の話

17110102.jpg

地蔵岱遺跡 遺跡見学会と特別講演会
http://www.pref.akita.jp/gakusyu/maibun_hp/event/jizoutai_kengaku.html
11月3日雨天決行
10:00/13:00/15:00
四季美館駐車場に10分前に集合だそうです。
森吉山ダム建設予定地内にある縄文から中世の遺跡です。
現場までは一般車両が入れませんのでこの機会が良いでしょう。

「蝦夷社会から中世へ-北秋田市地蔵岱遺跡の意味するところ-」
と題して埋蔵文化財学習会もあるようです。
10:30〜11:50
13:30〜14:50

同じ日に大館でも遺跡見学会があります。
釈迦内中台1遺跡
http://www.pref.akita.jp/gakusyu/maibun_hp/event/shakanai_kengaku.html
13:00〜14:30

森吉山の一般車両通行出来ない方に行こうと想います。長ぐつ持って行きます。
秋田の遺跡の財産が発見されて行くのはとても嬉しいですね。
それがダムに沈んだり形が壊されて無くなるのは勿体無くダムの観光の施設にならないものでしょうかね。
紅葉が奇麗だといいのですけれど(^^)
posted by 微笑 at 23:45| 秋田 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

遺跡の発掘報告会が軒並みに続きます

 遺跡の発掘報告会が軒並みに続きますね。中には、同じ日に重なるなんて残念です。
同じ管轄なんでしょう。役所の計画とか日程で進められているから全くどうにもなら無いと決まってしまっているのでしょうかね。確かに平年で考えると種苗交換会がある頃はみぞれや雪になって現地報告が難しいのでしょうけれど。

 ほとんどが、保存されずに無くなってしまいそうです。平安時代や縄文時代の人の営みの発見現場。
秋田は多くの過去の遺産がアリながら保存されずに壊されたり何処かにいって無くなったりしています。まだ、こんな事続けるのでしょうか。産業が無いならこの過去の遺産が大切だと思います。

関心をもたれる事には関心が無いのでしょうかね。
posted by 微笑 at 22:45| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月08日

秋田考古学協会創立50周年祈念大会

17100801.jpg

 秋田考古学協会創立50周年祈念大会が先週の土曜日にありました。
そこで、記念講演に國學院大学教授 小林達雄氏がとても分かりやすく楽しい縄文文化を教えて下さいました。

 自然の中に生きていた人が、村を造る。そのムラとハラ。ムラとノラ。ここに日本の縄文と欧州の新石器の違いがある話。

 言葉の話になりましてね。色々その場に居合わせた記憶がある訳ではないので、学説は多数なのですが、此の先生のは実感出来るお話。

右脳の日本語と左脳の欧州の言葉の.発達の違いが自然との付き合方に寄るものであると言う話。

生活の中に言葉があり、それで、どれが食べられ食べられないか、また、天気はどうなるのかが伝承されたので縄文文化。

 縄文文化は遅れた文化と見られているが、耕作なしで飢饉もなく生活出来た。その後、耕作に頼り過ぎると、飢饉が起きた話。

 対馬も北方四島も縄文時代から日本であった話。等等

此処で聞いた話、これからきっと此処でお話伝えさせて頂きますね。
posted by 微笑 at 23:45| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月11日

秋田の人物

17071101.jpg

石井獏:明治19年山本町生まれ
「純粋舞踏の天才」と称えられ、卓越した創造力で、日本の近代舞踏の確立と発展に偉大な足跡を残した。山本町ふるさと文化会館(メモリアルホール)に展示されています。

昔、私も聴いた事があった様ですが、忘れていました。
獏と言えば、「シアター獏」の方はメンバーでしたがね。

posted by 微笑 at 23:19| 秋田 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月16日

菅江真澄の山本町

17041601.jpg 
 先日の山本町でびっくりしましたのが幾つかありましたね。
その一つに、菅江真澄。
あの、風俗・習慣を記録した紀行文学家として有名な三河の国の菅江真澄が、200年前の山本町を4回も訪れています。
そして、文章と絵が残っていまして、その絵と同じ風景も残ってました。
写真がその場所です。
鳥居が200年前のものと思えないのですが、作り替えた方は復元も確かにできる腕の持ち主。
秋田の発掘から何千年も前からの発掘品に見られるように、ものづくりの上手な人々の郷であった様ですが、ここもそうだったようですね。
posted by 微笑 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月12日

今日は春を告げるお祭りでした。  秋田の話

 秋田の大町(旧川反1丁目)に福一満星辻神社があります。
昔、大火があった際、ここに移転する前のところでこの神社は火災に免れたと言う事で火伏の力がある神社として有名だそうです。
 私の目撃した事でこんな事がありました。
もう20年ぐらい前になるでしょうかね。
干ばつで農家が困っていた夏、農業関係者が雨乞いをしていたのです。
秋田は農家の稼ぎがないと大変困る県経済です。降水量が気になっていたのは私ばかりでないのは確かな渇いた夏でした。
時は数時間後に東北三大祭りの一つ、竿灯まつりが始るところでしたね。30〜40万人の観光客が集まっています。秋田県は観光も大切な収入源です。
丁度、竿灯が始るその時に、風と強い雨が降り出しました。
観光客が・・・
この星辻さん、お祭りの日に雨が降らないとその年に大火があるとも聞きます。
お札を頂いた方はセロテープや画鋲よりご飯粒でとめるのがいいそうですよ。
 願掛けのだるまさんは、片目だけ入れておいて、願いが叶った時に残った方にも目を入れてあげるのだそうです。
可哀想なので、はじめから両方目が入っているのが売れているようにも感じましたがどうだったでしょうかね。
17041201.jpg 
17041202.jpg 
17041203.jpg 
17041204.jpg 
posted by 微笑 at 23:45| Comment(3) | TrackBack(1) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月11日

菅江真澄の話

17041101.jpg 

 今日は久々に山本町に取材に行って来ました。
山本町って言ってもジュンサイが生で美味しい郷、それ位にしか見られなかったのですがその地域性や豊かな森林の山と田畑は、太古、縄文、蝦夷の時代、平安の頃も豊かな生活をしていた人々の郷の様です。
あの小野小町が晩年、目の具合が悪いので杖を頼りにやって来たものの房住山(ぼうじゅうさん)に登って眼病が治るように祈りたいのに険しくて登れなかったそうです。すると、足元に清水が湧きその水で目を洗うと、目がたちどころに善くなったそうです。それで、小町という地名が残っているそうです。
 地名と言えば、長面。小町も長面も共に房住山昔物語からの話です。
あの菅江真澄の書き残した話です。三兄弟の話は次回に。
posted by 微笑 at 22:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月16日

払田柵跡 秋田の話

17031601.jpg 
秋田県 払田柵跡。律令国家が本州の北部を支配するために設置した行政・軍事・祭事を司る城柵のひとつ。平安時代の9世紀始めから10世紀後半迄。
17031602.jpg 
今年は雪が多いそうです。
17031603.jpg 
1000年前もこんなに降ったんでしょうかね。
17031604.jpg 
posted by 微笑 at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月24日

払田の柵 秋田の話

払田の柵(ほったのさく)仙北郡仙北町にあります。
 律令国家が本州の北部をしはいするために設置した行政・軍事・祭事を司る城柵のひとつです。平安時代の9世紀初めに作られ、10世紀の後半まで続きました。
 第125〜128次調査の報告です。まだ全体の6%しか出来ないでいるそうです。科学的な調査が可能な時期に入りましたので是非大掛かりに発掘して頂きたい場所です。
秋田の先住民と律令国家支配の大和の人々の物語がここに眠って居る様に思えますのは私だけでしょうかね。
中世「堀田城趾」として周知されていた場所がもう破壊されていると考え触って無かったそうですが、今回縄文時代、平安時代、中世の各時代の遺構・遺物がみつかったそうです。範囲を広げて調査して頂きたいですね。

ところで、お墓が見つかったそうです。ただ、周りには無くひとつ。そしてその遺骨のつぼを埋めた時に煎った玄米を土に混ぜて葬っているんですね。
煎った玄米は芽が出ません。再生を防ぐまじないのようでは無いでしょうかね。

すると、この人は誰だったんでしょうかね。
この柵の偉い人と考えると可哀想では無いですか。京都なり実家に帰って埋葬されたいですよね。
17022401.jpg 

17022402.jpg 

17022403.jpg 

17022404.jpg 
どんなオマジナイだったんでしょうね。
posted by 微笑 at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月23日

堀ノ内(ほりのうち)遺跡 秋田の話

3000年前から、お晩です。

秋田県湯沢市上関字堀ノ内の堀ノ内(ほりのうち)遺跡から見つかりました。
縄文時代の河原にあった墓地の様ですね。
気になるのが四枚目の説明パネル。ストーンサークルでは在りませんが、石が並べられお約束のように焚き火の後が残ってますね。ストーンサークルの周りは墓地になってない様ですが、何か略式の祭事があったのでしょうかね。

17022301.jpg 

17022302.jpg 
アスファルトが矢の結んでる所や、土偶の首の処などに使われていました。
何処から持って来たアスファルトでしょうね。
秋田市界隈からでしょうかね。狩猟や船の防水には高価な接着剤として使われていた様ですから、土偶もとても大事なものなんですよね。
17022303.jpg 

17022304.jpg 
石の下に何も無かったと嘆いておられましたが、異次元との交流の石並べで在れば、モノは無いですよね。
神界や幽界とのこの世との交流の場。
posted by 微笑 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月20日

発掘報告 秋田の話

17022001.jpg 
今日も本荘です。
『この秋田にはどんな人が住んで来たのか・・・』これが私の関心の在る処なんですよね。
それで、国立歴史民俗博物館助教授の千田嘉博さんの講演が面白かったですね。

 秋田市の虚空蔵大台滝遺跡(こくぞうおおだいたきいせき)は、後三年の役(〜1087年)のころの館後なんですがね、これが、切岸(きりきし:山城を作る際、自然の斜面を急な斜面に削り出し、登ることができないようにした防御施設)と空堀(からぼり:城や館を守るために溝状に掘られた施設)から出来てたんですって。

ところがこの工法、室町時代(1336〜1573年)に見られるモノですって!

前九年・後三年の役は、大和には無かった戦術や兵法・防御システムが駆使されていたんですね。

調べるにしましてもね、文字資料・絵画資料そして発掘による現場の観察による資料をですね、その当時の人々が考えていたこと、大切にしていたことにも気配ることが楽しいと仰ってました。

 なんでも、攻め入る館から運気が立ち上っていたら攻めても落ちないが、運気がダラーッとなびいていたら簡単に攻められるんですって。こんな話を真面目に論じていたという。

似たようなものが見えるって人、今も居ますよね。私では無いですがね。

 家を建てる時、災いのない様に、文字や記号のお皿みたいなものをうめたり、鬼門を避ける工夫を施すのが大切なことだった。そんな人が残したものを発掘して、そこから見つかった器に、そこに住んだ人の喜びや楽しんでいる姿を想像するのがたのしいですよね。

って、発掘報告に『人』がなかなか出て来ないのでむずかっていた私でしたが、これからの発掘調査には『人が生きていたストーリ−』がものの見方になっていくようですね(^^)

写真は縄文時代の森吉町から出土した土偶。・・・可愛い。
posted by 微笑 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月19日

埋蔵文化財 秋田の話

17021901.jpg 

 今日は本荘市に行って来ました。
秋田県埋蔵文化財発掘調査報告会が本荘文化会館で行われたんです。
今日と明日の二日間です。
担当の方々が個性的に発表為さってましたね。

 日本列島には約三万年前から人が住んでいるという事が判っているそうですが、
その頃から、秋田にも人が住みついてるんですね。
自動車道とダムの関係で発掘が出来て居る様ですがね。
沢山残ってる遺跡の発掘がどんどん発見されてどんな人がどんな風に住んで来たか理解出来たら善いですよね。

 本荘市教育委員会教育長 片倉幹男さんが挨拶で、『私達の先人は文化をつくりだす創造欲、モノ造りにエネルギーやアイデアを持っていた』
と、御感想がありました。
正にその事です、秋田は遺跡のテーマパークにして欲しいですよね。

写真は秋田市の秋田城址。出羽柵。今回は発表は無かったです。
posted by 微笑 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月14日

火振りかまくら 秋田は角館の話

17021401.jpg 
 かまくらと言いましても、雪で創ったお堂はありません。
角館の火振りかまくらです。
地元の人に指摘頂きましたが、秋田市内にも仁井田という地区でも行われている様です。火振りかまくら。仁井田のは、一月でしたでしょうかね。

 角館の火振りかまくらは、毎年二月の十四日に行われている様です。
13日のは、イベントの様ですね。
 地区毎に行われていましたね。
桧木内川沿いでは、6ケ所他に4ケ所が角館町のサイトに案内が出てました。
駐車場から歩きました。今日は六時から始っていた様です。
橋の処に着いたらもう終わって仕舞う所ばかりでしてね、奥へ奥へと進みました。
(帰りは駐車場まで30分歩きました。)
写真は、春の桜並木で有名な桧木内川沿いです。

 先週もお芝居に行けずにドタドタした夕方になっていたように、今日も出掛けるのが遅くになったのですがね、今日は幸運でした。

 駐車場からは一番奥でといいますか、駐車場から30分の処の地区の人たちは八時過ぎまでまわしてましたね。ラッキ−。

高い所から失礼でしたが、声を掛けてお願いしたら答えて下さいましてね。ホームページ用のいいのが撮れました。地区の皆さんはじめ今野正則さんありがとう。

河川敷き沿いの一時間は身体が冷えきったのでテントのある方へ行きましたら、またまたラッキー。

この地区の方々がおもてなしのうどん・そば・おでんを振るまってましたよ。

西勝楽町二区下屋敷丁内の方々です。

火振りかまくらは万灯火(まとび)ですかね、とお聞きしましたがね。(東日本で行われる盆行事の一)
(お釈迦さんのお弟子さんのモクレンさんみたいに食事を振る舞っていますのでね)

なんでも、厄よけ・厄祓いだそうです。

今度は回させてもらいましょうかね。
posted by 微笑 at 23:19| Comment(4) | TrackBack(0) | 文化・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月10日

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。